『明治を境に日本人の歩き方が変わっていった』

『明治を境に日本人の歩き方が変わった?』

明治維新による西洋文化の流入により、日本人の生活様式は大きく変化していく中、
軍隊においては、西洋から取り入れた革靴(軍靴)履いての軍事訓練により、西洋式の歩き方を訓練されました。終戦後には、さまざまなスポーツやトレーニング法がアメリカから入るとともに一般庶民に靴文化が広まり、西洋式の歩き方も広まりました。 
 

『今と真逆の和の歩き方とは』

では靴文化の中で育った私たちが知っている「正しい歩き方」と「明治以前の和の歩き方」とを比較してみましょう。 まずは蹴りだしと着地を比較してみます。
 
「西洋式」
1. つま先全体で、しっかりと地面を蹴る
2. 膝を曲げずできる限り真っ直ぐに伸ばしたまま踵から着地する
 
では明治以前の和の歩き方はどうでしょうか。
 
「和の歩行」
1. 踵で地面を蹴りだす
2. 膝は緩めて、地面に置く感覚でつま先から着地する
 
驚くほど真逆です。
 

『機能的な和のウォーキング 自由自在な上半身』

次に、上半身の動きを比較したいのですが、実は明治以前の日本人が歩行の際にどのように上半身を動かしていたかは、確かな資料が存在していないようです。
そして大きく分けると2つの説があるようです。
1つ目の説は、
「ナンバ歩き」といい、手足が同時に前後する動かし方。右足が前に出る時に右手も前へ出ます。
2つ目の説は、
上半身と足の動きを全く連動させない歩き方。
 
「和kin/和のウォーキング」は、完全に2つ目の説にあたります。

私が和のウォーキングをマスターしたきっかけは人力車を引いていたからなのですが、人力車を引くときは、左手は梶棒を、右手は引き棒を常に持ち走ります。さらにそのままお客様の方を向いたり、左右の観光名所を案内します。下半身と上半身が完全に切り離されているのですが、全く不自由ももどかしさも感じません。

江戸時代の人々は、身体を「道具」としてとても機能的に活用していたと言われています。写真(上)の浮世絵を見て頂くと、肩や背中に担いだり、頭に乗せたり、両手が塞がっていたり、自分よりも大きな物を持っていたり、大人から子供まで、何かしらの物を持ちながらも自由闊達に動いている風景です。

江戸の人々は、職業や目的、シチュエーションに応じて、いかようにも対応できる歩行を身に付けていたのです。武道の動きでは必須のナンバ歩きも、自由自在な上半身の動き中の1つとして使用されていたのでしょう。

このころの旅人は1日30キロから40キロ、時間にして8時間から10時間ほど歩いていました。江戸時代のご先祖たちは、タフで機能的な歩行を実現していたのです。

ではあらためて歩行の際の上半身の動きを西洋式と「和kin/和のウォーキング」で比べてみましょう。
 
「西洋式」
3. 足と交互に腕をしっかり前後に振る。
4. 腕の振りに合わせて腰をひねる。
 
「和kin/和のウォーキング」
3. 上半身は自由。腕は好きなようにしておく。
4. 腰はひねらない。
 
 
 
軽快に歩けて、自由自在な上半身が手に入る「和のウォーキング」。
この素晴らしい歩行法でウェルビーイングな毎日を過ごしましょう。

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